深呼吸倶楽部 しんこきゅうくらぶ 城戸真亜子 アート散歩 美術館 第2回 三菱一号館美術館 開館記念展<Ⅰ>「マネとモダン・パリ」


●城戸真亜子(きど まあこ)
画家。武蔵野美術大学油絵学科卒業。
1981年 女流画家協会展、1988年VOCA展入選。
1986年よりほぼ毎年個展開催。近年は「水紋」をテーマにした作品を制作。
1997年 京都木津にオブジェ
1997年 東京湾アクアラインPA海ほたるに壁画
1998年 静岡駅ビルに壁画
2005年 荒川区南千住の再開発地にオブジェなど、パブリックアートも多数製作。
画業のかたわら食器デザイン、エッセイ執筆、テレビ出演など幅広く活動を展開。
◆城戸真亜子公式ホームページ http://www.maako.jp/
第2回 三菱一号館美術館 開館記念展<Ⅰ>「マネとモダン・パリ」
今回足を運んだのは、この4月丸の内にオープンしたばかりの三菱一号館美術館です。クラシックな建物が話題になっている美術館なので是非行きたいと思い、オープンが待ち遠しかったのです。
訪れた日はあいにくのお天気でしたが、外壁の赤い煉瓦や中庭の植え込みが雨に煙って幻想的。
この界隈が「一丁倫敦」(いっちょうろんどん)と呼ばれていた遥か明治時代にタイムスリップしてしまったのでは・・・という錯覚に陥ってしまいました。

さて、今回ご紹介するエドゥアール・マネは1832年生まれ。当時の保守的なフランス絵画の世界に新風を巻き起こし、彼のあとに続く印象派の画家たちや、さらに後の画家たちに大きな影響を与えた“近代絵画の創始者”と呼ばれる、近代絵画史上とても重要な作家であり、文化人です。

マネの有名な作品に裸婦を描いた 『草上の昼食』  『オランピア』 という作品がありますが、いずれも画題がスキャンダラスなものとして物議をかもした、というエピソードをご存じの方もいらっしゃるかと思います。

私は、かねてからマネは、ただ表現者として自分が描こうとしているものを真摯に追及しただけだったのだと思っています。
それまでの既成概念を否定することとなったその作品は、良くも悪くも当時の人々の心を動かすこととなり、結果として作品にスキャンダラスな風評がつきまとったのではないかと思っています。

マネは、ブルジョワジー中心の生活から市民階級が中心となっていくパリの近代化とともに活動した作家です。
新しいことが始まる、ということは古いものや昔のものが揺り動かされることです!彼は市民階級が台頭していくパリという大きな都市の生活そのものを享受し、市民の生き生きとした生活風景を切り取り、新しい時代の空気感を描きました。

「サロン」 と呼ばれる、ブルジョア趣味でアカデミックな主題を理想化して描くそれまでの絵画と一線を画し、見たままの様子をスピード感のある筆触や大胆な絵の具のもり、質感などで表現していくマネのやり方は、画期的で、ときにサロンに対して挑戦的だったかもしれません。そしてそれは美術の新しい展望を世に提示していくこととなるのですが、マネはたぶん、その時その時の 「現実」=リアルを、自分の感覚に正直に、つまり・・・リアルに描きたかっただけなのだと思います。
それでは 「マネとモダン・パリ」 展から幾つか印象に残った作品をご紹介しましょう。

マネ モダンパリ すみれの花束をつけたベルト・モリゾ会場にベルト・モリゾの肖像画ばかりを集めた 「ベルト・モリゾ連作」 の小部屋があります。
様々な異なる表情のモリゾに四方から見つめられているようで・・・  
なんだか生身のモリゾに遭遇しているような気持になります!

作品のモデルを務めた、ベルト・モリゾは、マネのもとで学んだ画家であり、弟ウジェーヌの結婚相手となった女性です。連作に登場するベルト・モリゾは、黒いドレスを着ているのですが、ドレスやや髪、影の部分に使われている 「黒」 の豊かさに驚きます。ひとくちに黒といっても、冷たい黒、温かみのある黒、光と影としての黒・・・とマネの黒の色の幅広さ、饒舌さを改めて感じます。

私は特に 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』 が、逆光で描かれていることに興味を覚えました。左から射し込む光に中で、黒いドレスを着たベルト・モリゾは、ひかりと溶け合っているような美しさで佇んでいます。警戒心も無く大きな瞳でまっすぐにマネの視線を受け止め、心なしか口角があがり、微笑んでいるかのようです。
リボンのついた帽子とドレスの黒、大きな筆致で描かれた明るいグレーの背景、髪や瞳に効果的に使われている茶色とベージュがかった肌の色が穏やかな調和した陰影をつけて、襟元に飾られた小さなすみれの花の青い色を控えめにひきたてています。

詩人のポール・ヴァレリーは、 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』 について 「何よりもまず黒、絶対的な黒がある」 と語りましたが、光のなかで呼吸する色彩と、影の黒の中に無限に広がる豊かな色彩・・・豊かな色を描き出しているからこそ、この作品の独特な柔らかで満ち足りた空気感が作り出されているのではないでしょうか。そしてその豊かな色彩は、マネの目線の中で輝くモリゾというモデルを触媒にしてひきだされているように感じます。

私はかつてオランダを訪れ 「17世紀のオランダ絵画における光のあり方」 について考察したことがあります。
降り注ぐ 日差しのなかで幾度もスケッチを繰り返してみましたが、どうしても光の方を向いて、絵筆をすすめたくなる自分がいました。逆光で作品を描くと、対象は見づらいし、眼も疲れます。順光で物を見る方が、本当は理にかなっているし楽なはずなのです。それでも逆光で見たときの方が明らかに色は高らかに歌い、輪郭を震わせパッショネイティブに語りかけてくる・・・光は絵描きを酔わせ、興奮させるものなのにちがいありません。
「光を見て描きたい!」 
という思いは強く心の内にあり、画家は光に向いて絵筆をとってしまうのです。
逆光でベルト・モリゾを描いたときのマネは、光の中でたたずむモリゾを描きたいという強い想いはもちろんのこと、マネにとっての彼女がまさに 「光のような美しさを湛えた存在」 であり、マネの眼の前の 「リアル」 だったからに違いありません。  『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』 の前で足を止め、光の中に彼女をおいたマネの心情を思うと、モデルと画家という以上に濃密な二人の関係が見えてきます。
扇を持つベルト・モリゾところが同じベルト・モリゾの肖像画でも 『扇を持つベルト・モリゾ』 はどうでしょう。
それまでかすかな微笑みさえ浮かべていたのに、この作品ではマネから意図的に視線を外しています。
なにがあったのかしら・・? ヒントは彼女の左手の指輪でした。扇を持つ左手の薬指に指輪が光っています。
この作品は、ベルト・モリゾの婚約記念に描かれたものと言われています。

暗く沈んだ背景や、ストールとドレス、手にしている扇などが黒のバリエーションで 描かれ、ドレスの袖からのぞくベルト・モリゾの手首や指の華奢さが強調されて います。身体を斜めに構えることで鼻梁も強調され、 『すみれの花束をつけた ベルト・モリゾ』 とは違い、なにかマネを寄せ付けない険しさすら感じられます。

この作品を最後にマネは彼女の肖像画を描かなくなります。二人の間にどのような感情的な別れがあったのかはわかりませんが、それまでの近しさから一気に隔てられた、マネの彼女との 「リアル」 な関係性が表されていると言えるでしょう。
本展には素描やリトグラフも出展されています。素描や大作を描く前に作られる習作は、制作の現場を垣間見たような楽しさを覚えます。その中でも特に興味をもったのが、墨で描かれた 『テュイルリー公園にて』  『テュイルリー公園の一隅』 という2点のスケッチです。いうまでもなく、あの、ロンドンナショナルギャラリーの 『テュイルリー公園の音楽会』 のためのエスキースでしょう。
テュイルリー公園にて『テュイルリー公園にて』 は、画面手前で帽子を被り、やや腰をかがめている男性は比較的描きこまれていますが、椅子に 座って彼と話をしている女性や画面右の複数の男性たちは、大まかにしか描かれておらず、左の木陰にいる子守の娘や 画面奥の人物にいたってはほとんど気配だけがゆらぐ光で 表されている、といった感じ。

モネはやはりスケッチでも説明的な輪郭線を嫌い、大きな筆の面でとらえています。  『テュイルリー公園の一隅』 も同様に大きな筆のタッチだけで 公園の木立とその影、ベンチに座る女性の後ろ姿が描かれています。 スケッチや習作の性質上、見たものの姿を素早く紙に写すために、大きくのびやかなタッチで形をとっていくわけですが、そこにも光が効果的につかわれています。
後に “近代絵画の創始者” とマネは呼ばれますが、屋外の光の中で人物を描くことと群衆を描くことは、マネが生涯にわたって追及したテーマでした。毎日のように午後は公園へ出かけ、そこに集う人たちの姿を写し取りました。これらのスケッチからは、明るい光の中で午後のひとときを過ごす屋外の社交場といえる公園の雰囲気が伝わってきます。
かたちを描くことよりも、光の中でたわむれる群衆の楽しげな声や空気感に主題がおかれていることが確認できます。

このスケッチとくらべて、パリコミューンの際に製作されたリトグラフを見てみましょう。手前の銃をかまえる兵士やバリケードにくらべ遠景の建物は輪郭と陰影だけ。 その場で早描きするクロッキーと違って、リトグラフですから制作する時間はたくさんあるはずで、本当は建物も細部 までじっくり描き込めるはずです。しかしマネはあえて背景を簡素化することで、政府軍の兵士がバリケードを背にするコミューンの兵に、いままさに発砲しようとしている瞬間が目に飛び込んでくるようにしました。現場の緊迫感さえ伝わってきそうです。

マネの生涯は、何回かの革命や武力衝突を経て、フランスが帝政から共和制へと移り変わっていった時代と重なります。
マネ自身が体験した近代化へと歩む都市の情景や荒々しい騒乱の臨場感を伝えようとしたマネの手法を見ることができます。
シャクヤクと剪定ばさみマネは人物だけではなく静物画も描いています。
私はとくにシャクヤク(当時珍しかった)を描いた作品に惹かれました。
ここで例にあげた 『シャクヤクと剪定ばさみ』 では、切り取ったばかりの花が逆さまに立てかけられ、はさみは台からすべり落ちそう・・・あたかも16世紀から 17世紀にかけて北部ヨーロッパで流行した 「人生の虚しさ」 を主題にした静物画(ヴァニタス画)のようです。健康を損なったマネは晩年果物や小さい花などの静物画を描いていますが、そこには自分の生命の行く先への不安や死の影をだぶらせているような印象を受けます。

画家として最初にスタートをきったとき、マネはスペイン風の画題を好んで描きました。スペインは光と影がぶつかりあい、たがいに主張しあう国です。闘牛に してもフラメンコにしてもそう。むせかえるような生は死の影の存在によって際立っているのだと見せつけられます。
そうした国の美術に若い時に影響を受けたマネだからこそ、静物の内に潜む生命力やその終焉のときをドラマティックに描きだせたのかもしれません。
さて、今回の展覧会で思いがけなく印象に残ったのは。終盤にさしかかった展示室で出会った、猫をモチーフにした エッチングです。当時のパリで流行したジャポニズムの影響か、古き良き日本の美術作品に通じるノスタルジックな趣があり、マネにはこんなかわいらしいものを好む一面があったのかとほほえましく思ってしまいます。
なかでも 『猫と花』 はフランスの古書の挿絵で、その本は、三菱一号館美術館の館長・高橋明也氏の所蔵品だとか。
ご自身の大切な所蔵品を出展している人が館長だとわかったら、訪れた人は一気に親しみを感じるのではないでしょうか?
水浴する女私は展覧会を見終えると、一番好きだったのはどの作品かな?とか、
この中で1点だけ買う(!)としたらどれがいいかな、と振り返ってみます。もちろん買うことなどできないし、そんなお金があるわけではありません。ただ、空想の中でそんなふうに想定してみると、とりすました作品たちとの距離感がぐっと縮まって感じられるからおもしろいものです。

皆さんも想像してみてください。
どれか1点持ち帰って自分の部屋に置くとしたら・・・って。

今回私が持ち帰りたい!と思ったのは 『水浴する女』 という素描作品です。サラリと描かれているのに体温まで伝わってきそう。
マネが挑戦的になっていく、いわばその前夜の・・・無垢な描く喜びに満ちた線がとても好きだと感じました。
さて、海外の美術館では、室内を歩く人の足音や人いきれ、ときどき一緒に来た人に 「見て、すてきね」 とささやきかける控えめな声など、心地よい音がさざ波のように寄せては引いていきます。私はその音が決して嫌いではなく、むしろアートを楽しむ人が周囲にたくさんいることの心地よい空気感が好きです。
今回紹介した美術館は、建物の特性やスペース構成から親密な展示空間ができあがっており、海外の美術館に通じる心地よさを感じることができました。この心地よさを味わうためにまた足を運ぶ美術館になりそうです。

■三菱一号館美術館 開館記念展<Ⅰ> マネとモダン・パリ
会期 2010年4月6日(火)~7月25日(日)
会場 三菱一号館美術館 (東京都千代田区丸の内2-6-2)
休館日 月曜休館 〈5月3日・7月19日は開館〉
開館時間 水・木・金 午前10時~午後8時、
火・土・日・祝 午前10時~午後6時(入館は閉館の30分前まで)
観覧料 一般当日1,500円ほか
主催 三菱一号館美術館、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション
一般問合せ 03-5777-8600(ハローダイヤル)  展覧会ホームページ : http://www.tohaku400th.jp/
展覧会サイト http://mimt.jp/manet/
美術館サイト http://mimt.jp/
◆◇◆次回をお楽しみに!◆◇◆