深呼吸倶楽部 しんこきゅうくらぶ 城戸真亜子 アート散歩 美術館 第2回 三菱一号館美術館 開館記念展<Ⅰ>「マネとモダン・パリ」


●城戸真亜子(きど まあこ)
画家。武蔵野美術大学油絵学科卒業。
1981年 女流画家協会展、1988年VOCA展入選。
1986年よりほぼ毎年個展開催。近年は「水紋」をテーマにした作品を制作。
1997年 京都木津にオブジェ
1997年 東京湾アクアラインPA海ほたるに壁画
1998年 静岡駅ビルに壁画
2005年 荒川区南千住の再開発地にオブジェなど、パブリックアートも多数製作。
画業のかたわら食器デザイン、エッセイ執筆、テレビ出演など幅広く活動を展開。
◆城戸真亜子公式ホームページ http://www.maako.jp/
第2回 三菱一号館美術館 開館記念展<Ⅰ>「マネとモダン・パリ」
街なかで、色鮮やかなゴッホの絵のポスターをみかけて「ボストン美術館展」のことを知り、見に行って来ました。
会場の順路にしたがって見て行きます。最初は肖像画のコーナーから・・・

ボストン美術館展肖像画は、西洋絵画の代表的なジャンルのひとつで、近代までは王侯貴族や高位聖職者、富裕層からの注文に応じて画家が描きました。
ちょっと下世話なはなしですが、肖像画は画家にとってよい収入源でもあったようです。
肖像画は、胸像や半身像よりは全身像、片手だけが見える構図よりは両手が見える構図のほうが良いとされ、価格も高かったそうです。

そういう意味でレンブラントの 『ヨハネス・エリソン師』 『ヨハネス・エリソン師の妻マリア・ボッケノール』 という対になった肖像画は、画家としては有り難い発注だったといえそうです。

肖像画の画料は、胸像や半身よりは全身のほうが高く、また、顔と同じように表情豊かなパーツである手に関しても、描くか描かないか、あるいは片手だけか両手であるかによって画料が異なり、それに応じて画料が加算されたのだそうです。
画家は芸術家ではありますが、同時に生きていくために職業画家としても描かなくてはならなかったわけで、それはレンブラントといえども例外ではなかったのですね。
クロード・モネ アルジャントゥイユの自宅の庭のカミーユ・モネと子ども肖像画、宗教画のコーナーを過ぎると、農村の労働や都市の生活などをテーマに人々の日常生活を描いた風俗画のコーナーとなります。コローミレードガモネルノワールなどの作品が一堂に集められ、作品の前で足をとめる人がとても多く、おなじみの画家たちの人気ぶりがうかがわれます。
私は、モネとルノワールが描いたお母さんと子どもの絵の前で、光の描き方をとても興味深く眺めました。

モネの 『アルジャントゥイユの自宅の庭のカミーユ・モネと子ども』 は、明るい日差しの中で縫物をする母親とそのそばで一心に絵本を見る幼い子供が描かれています。
人物は背景の花や緑の草と響き合い、混じり合うようなタッチで描かれています。母親のドレスのスカート部分と芝生の接地点や輪郭部分に注目してください。人物にも植物にも同等に光が降り注ぎ、色が歌っている!

・・・モネにとっては個々の質感よりも光と色の響き合いを描くことが何より楽しく興味深いことだったということがありありと伝わってきます!

カミーユはモネの最初の妻ですが、この作品はモネがアルジャントゥイユに借りた別荘の庭でのひとこまを切り取ったものです。当時、パリに暮らす中流階級の人々は郊外に別荘を求め、都会の喧騒から離れようとしました。そのためこの作品も、生命力あふれる草や花の生け垣と、都会的なストライプの衣装や都会的なおもちゃが、対比するように描かれています。
光あふれるジベルニーの庭でのモネの幸せなひとときを垣間見るような作品です。
同じようなテーマで描かれたルノワールの 「日傘をさした女性と子ども」 ですが、この作品は前出のモネの作品とほぼ時を同じくして描かれました。 緑が茂る夏の斜面に横座りし子どもを遊ばせている若い母親。
彼女もまた都会から郊外へやってきたのでしょう。
この作品を見ると、ああ、ルノワールの興味は本当に光と影だったのだなあ、と、実感できます。ものが白っぽく見えるような強い夏の日を浴びて、子どもの背丈ほども伸びた草は水分を蒸発させ全体がモワンと揺らいでいるようにみえます。
よちよちと子どもが歩いて行くその先には木立でもあるのでしょうか、深い色の影が描かれています。
この影によって2人のいる草むらの明るさがより強調されています。

ルノワール 日傘をさした女性と子どもさて、女性と子どもの服を見てください。
明るい部分はハレーションを起こして白く見えるのですが、わずかな影の部分は淡いピンクやクリーム色、グレーや青で表現されています。 影というとグレーを連想してしまいますが、実はそうではないのですね。
ルノアールは影を実に魅力的に詩的に嬉々として描いています!

よく知られているように、ルノアールは柔らかな女性の胸や子供の肌を愛し、それを美しく描くことに幸せを感じていた作家であることはもちろんです。でも、この作品でもそうであるように、その肌にも躊躇なくブルーやグリーンで影を描きこんでいることからも、光と影に美しさを感じ、真摯にそれを表現したかったのだということが伝わってきます。ただ愛らしい対象を撫でまわすように描いたのではなく、根底には強い画家の問題意識が感じられることも、この作家が多くの人々を魅了している理由なのかもしれませんね。
このコーナーで私はドガの 「田舎の競馬場にて」 という作品もとても面白く鑑賞しました。
36.5×55.9cmという作品は決して大きくはありません。「田舎の競馬場にて」というタイトルですが、競馬の様子は遠景に小さく描かれているだけで、鑑賞者の視線は画面右手前の馬車に吸い寄せられます。
ドガ 田舎の競馬場にてドガが30代の頃の作品ですが、実験的な構図を作ろうとしている時期だったのかもしれません。
馬車に乗る家族は、乳母の膝に抱かれた赤ちゃんを見ています。(御者台にお行儀よく座った犬まで!)きっと赤ちゃんがなにかかわいい声をあげたのでしょう、皆が微笑を浮かべて見下ろしているようです。赤ちゃんを中心にV字を描くように人物が配され、馬車と馬の足元を画面から切ってっている構図は、この時代には考えられないほど斬新で、シチュエーションも映画のワンシーンのようにドラマチックです。家族の日常の風景から、ふとした「瞬間」を切り取るドガならではの作品。
もし彼が現代に生きていたら、映画を作っていたかもしれませんね!
モネ ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝さて、ひときわ人の多い展示室
― モネの作品が壁一面を埋めている ―
にたどり着きました。モネは大好きな作家。
実は、絵を学び始めた学生時代は、モネの作品はなんだかぼんやりしていて、あまり好きではなかったのです。
ところが大学卒業後に私自身が、湿度や空気に興味を持ち始め、自分の作品のテーマにした頃から、突然大好きになってしまったのです。極端ですね。
モネの描く水辺の風景の空気が潤っている様子や、もやんとした空気の中に色があるような絵が、とても好きなのです。
水辺に憩い、安らぐ。本来的に、身体の70%が水で出来ている人間は水に魅かれるのだと思います。
「ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝」 は夜明け前の風景なのでしょう。静けさが漂うなかに、薄く射し込んでくる光と水面のかすかなゆらぎに伴って、あたりにたちこめる湿度のある水辺の大気。
刻々と変化していく光や空気や温度を描かずにはいられずに急いたように筆を走らせる画家のひそやかな息遣いまで感じられるようです。

パリ北西の小さな村、ジヴェルニーにモネは居をかまえ、水辺や睡蓮などの連作を描きました。
またルーアンの大聖堂や、麦わらの塚など同じモチーフをそれこそ何度も何度も繰り返し描いたことは良く知られています。学生時代私は、なぜモネは、よりによってわざわざ積わらのようなモッサリした絵になりにくい形のモチーフを描くのかなあ、と不思議に思っていましたが、きっとモネにとって、その物の形がすでに何かを語りつくしているようなモチーフはかえって邪魔だったのかもしれないと思うようになりました。
世界に同じ瞬間はなく、同じ風景であっても時間や季節によって異なる・・・
それを顕著にさせるのは光。光を描きたい、光によって刹那の叫び声をあげる色を描きたい、という想いが、屋外の荒削りな自然のモチーフを選ばせ、そこにその表現の場を求めたのではないかなと思います。
ゴッホ オーヴェールの家々印象派の作家は今ここにある風や光をいかにとらえるか、に心を砕いているようですが、ゴッホの作品 「オーヴェールの家々」 も、また違った、彼ならではの風景画を描いています。
ゴッホはアルルでの生活を終えてからオーヴェールに住むのですが、この時はすでに光の洗礼を受けています、色が冴え冴えとしていますね。色を描くために画面が構成されているのではないかと思うくらい、美しいハーモニーを奏でています。
ゴッホは自殺してしまったとか精神を病んだとか、そういった物語が前に出てしまっているので、何かすごく特異な描き方をしたのではないかと思われるのですが、決してそうではないと思います。

私はかつてゴッホの足跡を訪ねるたびをしたことがあるのですが、アルルやオアーヴェールには実際にこういう風景があり、ゴッホの鋭い感性なら、このように描くであろう空気感や、自然のフォルムがそこには存在しているのです。

ゴッホは彼特有の色彩や、激しいスピード感のある筆致で対象を描きました。対象へのまなざしが特異性を帯びているわけではなく、今自分の感じる形、色、そして、うねりを素早く、キャンバスに綴りたい欲求に忠実であっただけだと思います。

ゴッホの日記を読むと、彼がとてもインテリジェンスに溢れ、先達たちの作品を研究し、そこからさまざまなことを学び、自分の表現へ反映させようと、人生のすべてを作品づくりのためにかけていることがわかります。

この展覧会には、たくさんの絵画が出展されています。
絵画とひとことで言っても、時代や地域によって、また作者によって主題の選び方や描き方が異なります。
絵を見る楽しみというのは、絵そのものを楽しむことではあるのですが、〈人間はみな同じではない〉と、いうことを改めて知る場であるという気がします。
印象派の作家はその瞬間の風や光をいかにとらえるか、に心を砕いていますが、この時代は特に、それまでの伝統的で古典的な絵画から「解放された時代だ」と言っても過言ではありません。 チューブ入りの絵の具が開発されたことも大きな要因です。 それによって画家たちは気軽に屋外に画材を持ち出しスケッチすることが可能になりました。

自然のひかりと風の中で画家は自分の感覚のままに色を置き、形をうねらせていく・・・。

ずっとさかのぼれば風景画ひとつとっても、古典的な宗教感のもとでは、美しいからといって自然そのものを描くということは罪深いことだったというのです。自然の風景を美しいと思うことは、性欲に任せて快楽に身をゆだねるということに近いとされていたというのですから驚きです。
自然は矮小な人間とは対極にあって、雄々しく人智の及ぶものではない、だから自然の中できれいだとか気持ちが良いと思うことは罪深いとされていたようですが、だんだん時代がさがっていくにつれ、自然や光に色や喜びを見出すようになっていったのです。
そう思いながら絵を見ると、たとえば、シスレーの風景画はそこで深呼吸がしたくなるような空気そのもの、光そのものを描いているなとか、この濃密な色彩と筆致はいかにもセザンヌらしいタッチだなとか、この体温を感じるような人物の柔らかさはルノワールだなとか、感じながら見るのがやはりとても楽しいですね。
予備知識も何もなくゴッホのポスターに魅かれて足を運んだ展覧会ですが、思いがけず大好きな作品に出会うことができました。それはちょうど、街かどで愛する人にばったりと出会う感動に似ています。
わぁ、ここで私を待っていてくれたのね!と、一人勝手にうれしくなってしまいました。
絵画と自分がつながる喜びはかけがえのないものです。

■ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち
会期 2010年7月6日(火)~8月29日(日)
会場 京都市美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
休館日 月曜日(ただし7月19日は開館)
開館時間 午前9時~午後5時(入館は閉館30分前まで)
観覧料 一般当日1,500円ほか
主催 京都市美術館、ボストン美術館、朝日新聞社、朝日放送
一般問合せ 075-771-4107(京都市美術館)
展覧会サイト http://www.asahi.com/boston/
美術館サイト http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/
◆◇◆次回をお楽しみに!◆◇◆